茨城県つくば市 ダイニング+カフェ エレガンス ディナーショ-(長文です)

高速バスに乗った瞬間、待ちに待った時が進んだ。
体が求めているもの、それは意識をしないけど、心と体はしっかりと反応していた。
バスを降り会場まで歩く道すがら、桜の花びらが風に舞う中を歩いていると、ピンク色の小さな一枚一枚が、
そっと自分を迎えてくれているようだ。ご縁会って出会えたファン仲間、ウェイターズの掲示板のつながりだった。
初めてここに来たことは、記憶から消えないひと時でした。
知可子さんに限りなく近い席、こんな場所に良いのだろうか?と思いながら座らせてもらった。
自分のおかげでと言ってくれたけど、何もして なかったし、ご本人の思いが届いた結果だと思っているけど。

今回もお誘いを頂いて再び訪れた会場、つくば市にある「エレガンス」 仲間たちが座る座席に腰をおろし、
やっとここにいる実感を得たのでした。ディナーショーなので料理を取りに行くと美味しそうな幾種類の中を迷いながら、
少しずつ皿に取りながら列を進む。と、最後の料理に眼を奪われた。
何で???おいなりさんである。いっぱいのった料理の隙間に取り、席へと向かう。おいなりさんは、手作りだった。
おふくろが作ってくれたその味。ふと、心の中が暖かくなった。
いつも知可子さんと歌を聴く前は、ほんと異常なまでの緊張感を感じ、食べれなかったり、
喋れ無かったり、仲間にも伝わるくらいの状態になるんです。
毎回、その繰り返し。でも、そんな心を開放してくれたのと、あとでこのことが瞬間にスイッチが
入ったプロローグになるとは、想像も出来なかったのです。
洋と和の接点は何に?なんて思う前に、ここの料理はほんと美味しい。
いろんな種類の料理、昼夜2回公演だから、きっと忙しく追われたこと でしょう。
感謝をしながら美味しいものを頂き、お腹の中も満たされた。
さぁ、まもなく知可子さんからのメインディッシュが始まる。

会場内はこじまりとした空間。自分は大好きなんです。
知可子さんの歌声をより近くで聴きたい、一番後ろにいても感じられるこの場所が自分は好きだ。
彼女の表情が感情が心が発する空気を、出来る限り受け止めたいから。
でも、大きな会場でたくさんの観客の前で歌うことが、やっぱり良いんの だろうなぁと思う。
歌声を聴けるのが当たり前になっている自分のおごり だったりして。
何故なら、知可子さんはいつでもどこでも、全姿全霊を込めて歌い続けているのですから。反省しなきゃ行けませんね。

今日はいつもと違う編成でした。林さんの姿が無い。小野澤さんと林さんの奏でる音色は、ほんと涙を誘うのです。
息のあった間合い、テクニックも当然ありますが、一番感じるものは愛の一言に尽きます。
自分、ほんと言葉の種類がなくて書ききれません。
心が暖かくなる演奏、それを聴きながら歌う知可子さんと重なったとき、初めて聴く人、
ヘビーな自分のような者なんてなくなる、心の開放に導いてくれるのです。
今日は林さんがいない。と、勝手に思い込んでしまった。みなさんに謝りたい、ほんとごめんなさい。
終わったあと、自己反省をした理由を心が泣いたことを、改めて感じることになったのです。

「瑠璃色の地球」MC幅広い客層で3歳くらいの女の子から、知可子さんのお父様まで
それは老若男女へ向けての挑戦でもあります。
初めからこの楽曲でとは、ここに来る人たちは知可子さんが大好きでくる人たち、
ゆえに最初からこの楽曲でというのは、とても贅沢な内容と察することが出来ます。
とっても大好きな歌の一つ、詩も曲もその場面情景が浮かんで主人公の二人の姿が眼を閉じると見えてくるように。
沢田知可子さんが歌うバラード、初めから直球の選択に戸惑いを隠せない。

「カーネーション」イントロが流れた瞬間、涙状態に陥った。
CDを聴いてもそう、生の歌声を聴いたら特にそう。
等身大の主人公が浮かびそのまま心の中を自分が同じに進んでいる。
初め聴いたときはこんなことにならなかったのに、何故なんだろう。
この歌を聴き初めて大人になった自分がおふくろにプレゼントをした。
旅に行っておみやげを買っても喜ばない、いつしか買わなくなっていた。
あなたが楽しんでくれば良いからって、いつも言う。
最近、パート先でおすそ分けをもらう話を聞いてたので、人数を聞くと答えて くれるようになった。
さて、何を母の日にプレゼントしょうと思いついたのが、 母の日の前日、唐突に花を贈ろう。
赤いカーネーションを贈ろうって。 日曜日の朝、花屋へ行って花束を作ってもらった。
店を出た時、少し照れくさかった。 時折来る視線が自意識を過剰気味にしてくるのです。
電車に乗る前に ケーキ屋に寄り、母の好きなモンブランと苺のショートケーキ・母の日バージョンを買う。
小さな板チョコには「おかあさんどうもありがとう」と書いてあった。
電車に乗り再び照れば倍増していく、こんなおじちゃんになっているから、きっとかみさんに買って行くのだろうと
思われただろうなぁきっと。 駅を降りたら、行きつけの床屋の奥さんにバッタリ会う、この奥さんの娘さんが自分と同級生で、
「えらいねぇ~」の言葉にもう照れが頂点に達してしまった。 実家には誰もいず花瓶のありかも知らないので、
バケツに水を注ぎ中に入れ ケーキは冷蔵庫へメモを残して家に戻った。
その夜、電話が鳴った、母からだった。 何かを言ってくれたようだったが、心に残ったのが
「ありがとうねぇ~」と初めて聞いた声のトーン、はっきり言ってショックだった。
こんなんなら もっと早くしておけばとほんと後悔は頂点に。
おふくろは、高価な ものなんかよりも、心のこもったものを、それよりもその気持ちにありがとう を言える人だった
ということをいまさらながらに知ったのです。 自分の逃げ場を失い良かったと思えなかったことは、
おふくろの言葉の深さに比例して、気が付いたことがあります。
この歌は、知可子さん自身なんだと。おふくろにも、知可子さんにも、心からごめんなさいを言いたい。
そして、おふくろにも、知可子さんにも、どうもありがとうを言いたい。

「恋人と呼ばせて」ランタンでのライブでも書きましたが、この歌がこうした形で応援するきっかけになったのです。
「会いたい」でファンになり、CDに入っていた この楽曲に何度も何度も聴き入り、
そしてその当時発売されていたCDを全部買いあさったのです。
自分、ゆっくりと沢田知可子の世界へ入って行くのに、この日は異常なまでに感受し、
スイッチが入りっぱなしに。 人が人を好きになるということ、この歌の主人公は許されない恋の中にいる。
ほんと、せつなくて、せつなくて、せつなくて、結末うんぬんよりもただ せつなくて、その一言に自分はいつも反応してしまう。
前に、知可子さんが デビュー曲のこの歌を歌いきれずに、化粧室で号泣してまった話をしてました。
だから自分の心にも、男の自分にも、届いたのでしょう。
今日は、ピアノだけ のバージョンですが、いつもと違った感じなのに、
いつもと同じせつなさが自分を包んでくれたのです。男でこの歌を聴いて泣いてしまうのって、そういないでしょうね。

メンバーの紹介、お尻を向けてますがと小野澤さんのご紹介、知可子さんいわく夫婦ライブ。
小野澤さん、いつも演奏をしながら周りに気配りをしている。
音を聴きながらチェックをしているのと、いつも歌う知可子さんに視線を送っていること。
音に関しては、熊谷でのイベントで公開リハーサルのとき、 音響を調整している方とのやりとりをしながら、最高の音を出していた。
自分、絶対音感がすぐれてませんが、なんかドンドンと心地よくなって行く のです。
心が求めている空間に、少しづつ近づいていくのです。
ほんとミニライブだったのに、初めてであろう「Day by day」に うるうるした自分がここにいた。
自分には無縁な歌だったのに、なんでか知ら ないけどじ~んと涙が流れて来た・・・戸惑いは最高潮に達した。
当たり前になっていたことを恥、改めて感謝の言葉が心の中で駆け巡った。
それと、視線。過去のライブでの映像を仲間から頂き、何気に送る視線。
あるディナーショーで舞台からテーブルに階段を降りるとき、痛いくらい の視線があった。
何だろうと思ってたら、腰の具合がよく無かった知可子さんを気遣う視線だったのは、あとでオフシャルのダイアリーより確認し、
いつもどこの会場でもそっと自然な優しい眼差しが暖かいのです。
知可子さんは気が付かないだろうと思った。
なぜなら、後ろは見えないんだから。でも、それは誤解だったことを知ったのは、今日のこのライプでした。
今回は背中合わせのライブ。こんな視点を持っていた自分は、とっても複雑でした。
どんな展開になるだろってね。なのに流れる涙の源を探る力は無く、ただただ聴き入る自分がここに。
愛というものを、自分におすそわけをしてくれたと言いたいです。 スリランカの衣装がとっても素敵な知可子さん。

「美しい国」初めて聴いたとき、言葉の感じがつかめず少し戸惑いを隠せませんでした。
明治生まれの女詩人、永瀬清子さんの生まれ育った時代との差があったのです。
ミニアルバムを手に入れ繰り返し聴き知りました。知可子さんは教えてくれました。
歌声とピアノだけの シンプルな楽曲だけど、逆に「美しい国」が語る言葉一つ一つを心に届けて くれるのです。
永瀬清子さんの残し伝えたい思いを、そのままを現在の人たちに知可子さんのフィルターを通し、届けてくれたのでした。
それから、生の歌声を聴くとなんかとっても暖かくなるのです。
後半の歌詞が涙を誘う、なんでだろう?素敵な主人公の女性に恋、憧れる ようななんとも言えない人の愛と言うのでしょうか?
時代背景は違う。なのに、こうして心に残るのは何故なんでしょう?
知可子さんがこの詩に出会い、歌にして残そう伝えようとした気持ちを、これからも聴きながら、探りながら、確かめたいのです。

MCフィンガー5「個人授業」 知可子さんと同世代で子供のころ、シングルレコードで何度も聴いた歌。
五人兄弟の中に唯一の女の子、自分より一つ年上の妙子ちゃん。
そう、妙子ちゃんにほのかな恋を覚えたあのころが懐かしい。
確か、妙子ちゃんがソロで歌う「おませなデート」がB面にあり、A面を聴かないでこっちがメインになってたり、良く聴いてました。
バラードシンガーの知可子さんが久しく歌うカバー&アップテンポな歌。
小野澤さんのピアノの音色もいつもと違う感じが伝わり、新鮮でもあり そこに懐かしさ、
子供のころを懐古しつつ歌声に酔いしれる。 知可子さん、ノリノリな感じが最高!ジャズの世界を垣間見たのでした。

「時の流れに身をまかせ」故テレサテンさんの歌声、アジアの歌姫と呼ばれるように
とても優しく女性が持つ母性のような、ほっとする歌声が好きでした。
知可子さん、息を整えてしっとりと歌い始めた。 主人公になり、愛するあなたへ・・・もう聴いていて、
こんな人にと錯覚?思わせる歌声に、違った「時の流れに身をまかせ」がここに。
カバー曲をオリジナルのイメージを壊さずに、自身の世界へと誘う沢田知可子のカバーの世界の真骨頂を、
改めて耳から思い知らされ たのです。子供のことを懐古し、大人になったときの大人の愛を凝縮して味あわせてもらいました。

「gift」この歌に出会い、何度も心を救われて、そう特別な思いが いっぱい今も交錯しているのです。
知可子さんが大切に歌うからとはなく、 自分を支えて、優しさを教えてくれた人のことを仮に外してもね。
自分、とても大切な人がいます。母、天にいる叔父、今も兄さまのように気にかけている叔父と叔母、
そしてファン仲間である姉さま、そしてもう一人、自分にはとってもかけがえのない人がいます。
彼女に聴いて欲しくて自宅にあった「gift」を聴いてもらった。
感想をお願いした。 届いたメールにあった返事、了解を得てますからここに残します。

「知可子さんは命に、がんばれって祈りと希望を込めているんですね。
誰もが簡単に口にする「がんばれ」で願う気持ちを歌っている…。
「がんばれ」の中の深い想いを感じました。
大好きな人を亡くした大木さん にとって大切な曲。
命の大切さを見失ってしまっている人に届けたい。」

なんで、この歌を聴いてもらいたかったのか、今も記憶にありません。
彼女の言葉に何も言えなくなった・・・どうもありがとうね。
自分の心の中にストレートな気持ちが在り過ぎて、伝えきれない ジレンマがいつもあるのです。
聴く人それぞれの思いを受け止める力は、 自分の心の容量の狭さを露呈することはあっても、それ以外になにも残り ません
でも、いつからだろうか?自分が歳を重ねて変わったことがある。
人さまとの出会いであります。こんな自分にと失礼極まりない言葉を書き自己否定をしてしまうくらいに、
ありがたい人たちのことです。ネットの世界はほんと怖い、
言葉のやりとりゆえの表情も感情も見て感じることが出来ない世界。なのに、
ちゃんと伝えようとする真摯な気持ちをそのまま受け止めてくれる存在。
そして、こんな返事をもらって、これからもこの歌を守り伝え続ける勇気をもらいました。

MC「いつでもいつまでも」テレビCMで流された楽曲、テーマは家族の絆。
提供してくれた会社のサイトから視聴出来るらしく、聴きに行ってきました。
宣伝の映像のバックに聴こえる歌声。さびの部分が心に響く。
何度も何度も繰り返し聴いたこの歌のさびの部分、心の空白が表れ求めて いる自分がいた。
今日、全部聴けた。感想はとにかく大切なことを教えてくれる。
絆を育む、絆を守る、絆を大切にする愛という言葉に家族愛、男女間の恋愛、親が子を慈しむ愛、
それぞれの形に当てはまる それぞれの愛をどうぞ聴いて感じてください。

アンコール MC新潟での復興イベントでの話。
「会いたい」この歌を聴いてファンになった自分。
いつも女性が泣いて いる姿を見るたびに羨ましく思えることがある。
それは、主人公になり感情移入が自然にしている、出来ることなんです。
初めて来たこの会場で隣に座っていて女の子が号泣をしていた。
歌い終えて知可子さんが、大丈夫?泣かせてごめんねと言うと、何度もうなずきながら泣き続けていた。
自分には、ここまでになれないなぁとそのときがよみがえる。
親友がテレビで歌う知可子さんを見て電話をくれた。
妹が全然変わらないね と言ってたこと。そして、最後のさびの部分で止めてアカペラで情感を込めて歌うと、
ぐっと心に来るねと言ってくれた。そう、そうなんです。同じ想いを耳にし嬉しかった。
そして、やっぱり女性はハンカチを手にし、そのまま流れる涙を拭くこと忘れて聴き入る姿があった。
男性でも歌の世界に陶酔し周りを気にすることなく、そのままの方がいました。
ほんと拍手が暖かい、ここにいる皆さんの愛が渦巻いてそれぞれに届いている。
それが自分にも来た。 知可子さん・・・最後のさびのところでマイクを少し離し、アカペラで訴えて来た。
えっ、思う間なんかなかった。
自分に好きな女性が全姿全霊を込めて語るように。
初めてであろう、こんな気持ちになったこと。心の壁が崩れた一瞬に会うとは想像も出来なかった。
知可子さんの愛、あまりに深くて大きくて。

「幸せになろう」最後の歌、もう終わりというよりも、心がいつも以上に上がり気味で十分に充足感に包まれていた。
でも、欲は深く正直に表れて もう終わりなんだと寂しさもともなって来た。
お互いにお互いを思うこと、この歌はいつも教えてくれます。
歌い終わってご挨拶のあと花束を送る人たちがどんどんと増え、並んでいた。
抱えきれない大きな花束、たくさん渡されて握手とお礼を言う知可子さんに、良かったねと心の中で声をかけた。
せっかくだからと何か歌おうの知可子さんの提案に、小野澤さんが演奏して くれた歌「DAY BY DAY」でした。
巻き起こる拍手に再び感動の余波。 当然ながら、ぼろぼろで力が抜けて帰宅したいつも以上の自分でした。