「会いたい」のお話

学生時代の知可子さんは、バスケットボ-ルに夢中でした。
埼玉県の浦和警察署の安全協会で運転免許証の更新を担当、仕事の後バスケットボ-ルに汗を流す。
そんな知可子さんは、警察の催しイベントで歌うことになり、その歌の上手さから評判を呼びいろんな
ところで歌う機会があり、いつしか歌手になりたいという気持ちが芽生え、不安のなかで夢に進み始める。

ご縁から南浦和のポテトハウス(ライブハウスは現在は閉店)で、定期的に歌うようになる。
まばらだった観客も口コミから歌う日には、場内に人が溢れるように。
そんなある日、憧れの先輩が歌を聴きにきてくれた。
そのときは、どんな気持ちだったのだろう、選曲は先輩が大好きな歌「オリビアを聴きながら」を歌う。
歌手を目指そうと決めたとき先輩に相談したら、「~おまえの一番めのファンだからなぁ~」と言ってくれた。
そして先輩は一週間後に、交通事故で実業団のスタ-選手だった先輩は天国に旅立ち、
知可子さんは、転職は天職を心に誓って歌手になろうと活動を始めて、当時としては遅いプロデビュ-を果たす。
デビュ-曲は、「恋人と呼ばせて」 で、キャンぺ-ンで日本全国を周る日々の中で飛び込みで訪れた、
東京の渋谷のランタン(現在は神泉駅近くに移転)のマスタ-に認められて、その場で1000枚のレコ-ドを買ってくれた。
ファ-ストアルバム・セカンドアルバムを発表するもヒットに恵まれずに、最後のチャンスのサ-ドアルバムの制作するとき、
レコ-ディングスタジオ内で迫る締め切り時間、そんな状態にファックスが送られてきた。
作詞家の沢ちひろさんの歌詞を読み、知可子さんは身を震わせる状態になった。
それは、知可子さんの大切な想いの場面が綴られていた。
沢さんは、場面も心境も何も知らない。

「憧れの先輩」「バスケット」「学生時代」・・・そして、先輩との突然の永遠のお別れのことが。

「会いたい」は、沢ちひろさんが情感を込めて書いた歌詞。

実話と巷では語り継がれ、多くの方々が記憶しているているようですが、
ご本人のイベントでの言葉だと恋人というよりも、憧れの先輩だったことです。
自分が見た場面、演奏していた女性が泣いてしまったり、サイン会で泣いてしまったり、
ドキュメンタリ-撮影のカメラマンが涙ぐんでいたり、聞いた話で司会の方が泣いてしまったり。
泣ける歌、歌声から伝わる言霊は、老若男女に関係なく心を優しく穏やかに導いてくれる。
皆さまにとっての「会いたい」って、どんなものなんでしょうか。
女性だけでは無く男性の心を濡らす歌、色褪せない「会いたい」は、あなたには、どんな歌なのでしょう。