澤田知可子さんのこと
1963年8月4日生まれ 血液型O型
高校卒業後、埼玉県の浦和警察署内の埼玉県交通安全協会にて運転免許の更新作業に従事。
あるとき、このままで良いのかな?違和感をと感じながら夢でもある歌の世界へ足を踏み入れ、活動を始める。
南浦和のライブハウス「PotatoHouse」(現在はありません)での活動や、芸能関係の方々が集まると知り、
デモテープ(カセットテ-プーに自身が作成した歌「瞳の中に」)を持参して突然訪れて、挨拶を先にする前に言った為に、
マスタ-の小川さんに直談判を試みるも、何かを注文しなさいと叱られてコ-ヒ-を注文してからお説教される、
そのでもテ-プを持ち込んだのは、当時の渋谷「ランタン」(現在は、渋谷の神泉駅そばに移転)に訪れ、
マスターとの出会いが、大きなきっかけとなる。この店が「聖地」と呼ばれる由縁がこんな理由から。
のちにスカウトされ、1987年10月5日「恋人と呼ばせて」でプロデビュー。
ランタンの小川さんが「恋人と呼ばせて」を1000枚買ってくれたと話されてました。
逸話では、竹内まりやさんの「駅」がヒットする中で、何故か銀座の夜のお店から有線放送のリクエストが多くあり、
いけない恋の歌詞にホステスさんたちから、支持されたとのこと。知可子さんは、レコ-デングの時、歌詞や歌詞のある
フレ-ずに反応してトイレで泣いてしまったと、当時のことを懐かしむようにライブで話してくれました。
キャンぺーンの日々を過ごしつつ中々ヒット曲に恵まれない中で、1990年 有線放送からじわじわと「会いたい」が130万枚を超える大ヒット。
紅白歌合戦に出場、日本有線大賞を受賞。2000年には「21世紀に残したい泣ける名曲」の1位に選ばれる
持ち前の体育会系バラードシンガーを発揮し、全国ツァーで活動しながら数多くのアルバムを発表、みなさんご存知の
「幸せになろう」や「Day by day」などの同世代の女性へのメッセージを綴り、愛を大切に守り続ける。
バラードシンガーとして活躍する中、自ら楽曲を作り他の歌手にも提供するかたわらで、ボーカリストとしての自身を大切に歌い続ける。
1999年、ウエイタ―ズという男女のユニット(現在は解散)へ提供した楽曲「自殺しちゃだめだよ」が、
後に大切に歌い続ける歌「gift」としと彼女が守り続けて行く。
ご主人である音楽プロデューサー・作曲・編曲での多岐に渡る活動をしながら支えている、ピアノ&キーボードの小野澤 篤(おのざわあつし)さんと、
音楽学校での指導・寺尾聡さんの演奏・参加しているバンドユニットの活動をしているギターリストの林 仁(はやしひとし)さんのアコースティクギターとの
二人三脚の活動。 ガットギターの田嶌道生(たしまみちを)さんとの活動があったこともあり、 アルバム「歌姫ものがたり」や生の演奏でも林さんとは
違った一面に触れられます。
ご主人の小野澤篤さんとの夫婦ライブも展開。
歌声から心から言霊を届け、聴いて涙を流すことで心の浄化に誘う、歌セラピ―で活動中。
最近は、アコ-ティクギタ-など長谷川友二さん・ウクレレも弾くエバラ健太さん・チェロとギタ-の二刀流の伊藤ハルトシさんなどの演奏も。
アコ-スティクの演奏と、知可子さんの生の歌声を聴いてみませんか?バラードって素敵な歌声と共に。